上京、そして、打ち子時代

その後、大学に進学し、東京に上京します。
新居(風呂もないぼろアパートでしたw)の近所のパチンコ屋にはパチスロがなかったので、
仕方なく、ビッグシューターというパチンコの羽台を打ってたある日、その店に、新装でパチスロが
入りました。
なんと、田舎で打っていたのと同じペガサスです。よく見るとnewが付いた1.5号機でしたけど。

このころのパチンコ屋は、1店につき、パチスロは1機種しか置けなかったんですね、
4島すべて60台以上が、すべてニューペガ。壮観でしたね

珍しさと、連ちゃんの激しさからか、毎日フル稼働で、なかなか空き台がありませんでした
交換率は7枚でしたが、一回交換ではなくなったのもあり、なかなかやめてもらえず、
ハイエナがつかえなくなりました。

学生でありながら、毎日朝から打つという生活でしたね
最初は、普通に打ってましたが、その店のジグマや、その店にいついてたテキヤの親分さんとかと
知り合い、なぜか、かわいがってもらいます。

そのテキヤさん、店長と知り合いなのか、脅していたのか定かではありませんが、店長さんから、設定6の台を毎日2台用意してもらって、夫婦で打ってるんですよ。すごい荒業です。
開店と同時に、走ってその台を取ろうものなら、若い衆に取り囲まれます。それでも、どけなければ
駐輪場に連れて行ってボコボコにしちゃうんですよ。恐ろしー
店員も見て見ぬふりです。

たまたま、夕方にその親分さんが帰るときに、ちょっと来いと呼ばれていくと、「出玉半分やるから
 代わりにうて」だって。
こちらは、20歳そこそこの若者ですから、打つのが早いんですよ。普段の倍は出たもんですから、気に入られちゃったんですよね。
いわゆる打ち子です。友人とで、回り持ちで打ちました。
半分と言っても、2万~5万位になりましたからね。

その店、設定1も多いんですけど、列に一台は設定4があったんですよ。
友人と、一人は設定6の打ち子をして、もう1人は設定4を探してうつという”のり打ち”生活
ニューペガの設定6は、メリハリがなくて面白くないんですけどね
でもそこから金銭感覚麻痺の始まりです。
閉店後、怖い人たちが集まって飲んでいる居酒屋に、その日の儲けの半分を届けるなんて生活を
数か月続けます。

そういえば卒業のときに、その親分さんから、ネクタイを卒業祝いでいただきましたw
義理がたいお方でした
会社なんか辞めて、俺んところに来いって笑ってましたが、もちろん丁重にお断りしましたよ


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